スタート・新橋駅前 SL広場
■ スタート・新橋駅前 SL広場
スタート・新橋駅前 SL広場
展示されている蒸気機関車(Steam Locomotive)C57型蒸気機関車が静態に置かれています。
新橋駅前の広場全体の「SL広場」は待ち合わせやテレビインタビューのメッカです。
このSLは12:00、15:00、18:00に汽笛が鳴ります。
季節によって新橋駅前SL広場の風情は異なります。
クリスマスには美しいイルミネーションで飾られます。
ある晴れた秋の日に、新橋駅前SL広場で出会った小さな男の子が、この機関車に夢中になっていたことを思い出します。
彼の目には未来への夢と歴史への敬意が宿っていたように感じました。親子で訪れる人々が、過去と未来、夢と現実をつなぐこの場所で共有する瞬間は、何物にも代えがたい価値があると強く感じました。
航空会館前
■ 航空会館前
航空会館前
会館内には、航空に関する資料を展示する航空図書館や、航空に関するイベントを開催するホールがあります。また、屋上には航空神社が鎮座しています。
そして、226事件の地なのです。
2.26事件の収束を告げる反乱兵士たちへのメッセージである。投降勧告広宣はラジオ放送、航空機からのビラ撒き、そしてアドバルーンが掲げられた場所です。
航空会館のホームページはこちらから
https://www.aero.or.jp/
日比谷公園
■ 日比谷公園
日比谷公園
園内には、市政会館、日比谷公会堂、大小の野外音楽堂、日比谷図書文化館、「緑と水の市民カレッジ」、日比谷グリーンサロン、フェリーチェガーデン日比谷、テニスコート、松本楼、大小の様々な花壇があります。日比谷公園の向かいに帝国ホテルがありますが、文明開化で有名な鹿鳴館はこの地にあったようです。
日比谷公園のホームページはこちらから
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index037.html
日比谷公園 首かけイチョウ
日比谷公園内松本楼のすぐ手前にあるイチョウの木は通称首かけイチョウと呼ばれています。樹齢は約400年です。もともとは江戸城にあり、明治時代に伐採されそうになっていたのを日比谷公園の設計者・本多静六博士が「自分の首を賭けても移植する」と言って移植し、この呼び名が付けられました。
鹿鳴館
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E9%B3%B4%E9%A4%A8
松本楼
■ 松本楼
松本楼
1903年に日比谷松本楼はオープンした。当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まり、当時の東京料理店番付で西の関脇に番付られました。日比谷公園が日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となっていたこともあり、バルコニーから憲政擁護の演説が行われた。
1923年に関東大震災により焼失。その後バラック住宅から復活し、これを機に小坂光雄が2代目社長となる。梅吉はその後1936年に貴族院議員に当選している。その後太平洋戦争に突入するまで、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔になった。
1971年、建物が当時の学生運動の犠牲となり焼失しました。再建後、これを機に秋の風物詩になった10円カレーが始まりました。また、松本楼のオープンカフェはワンちゃんの同行ができますよ。
松本楼のホームページはこちらから
https://www.matsumotoro.co.jp/
南極の石
近くに南極の石があります。探してみましょう!この石は、南極昭和基地から4kmの地点にある、東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、日本の南極観測隊が採取しました。重さは150kgの片麻岩(へんまがん)です。 南極観測船『ふじ』が持ち帰り、昭和41年(1965)4月14日、日比谷公園に設置されました。日比谷公園は石碑も充実しホセ・リサール像、ルーパ・ロマーナ(古代スカンジナビア碑、南極の石などの記念碑が園内各所に設置されています。
皇居外苑 楠木正成像
■ 皇居外苑 楠木正成像
皇居外苑 楠木正成像
皇居外苑の南東の一角に据えられた騎馬姿の武者像が楠正成の銅像です。この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもので、高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年に完成し献納されたものです。
皇居外苑
■ 皇居外苑
皇居外苑
かつて皇居外苑は皇室苑地でした。戦後、国民公園として開放することが決定され、1949年に開園しました。広大な芝生と黒松の木を中心とした広場は都心で数少ない安らぎの空間となっています。楠木正成像は外国人にも有名らしく、多くの外国人が観光バスで訪れています。
皇居外苑紹介のホームページはこちらから
https://fng.or.jp/koukyo/place/gaien-01.html
大手門
■ 大手門
大手門
江戸時代、江戸城正門として本丸大手門と呼ばれ、この高麗門前には大橋が架かっていました。1657 年の明暦の大火で焼失した後、1659 年(万治2 年)に再建されました。その後、戦災で再度焼失しましたが、1968 年、皇居東御苑の開園に合わせ再建されました。
百人番所
■ 百人番所
百人番所
大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たりました。同心が常時100人詰めていたところから百人番所と呼ばれるようになったといわれています。
皇居 東御苑 天守台
■ 皇居 東御苑 天守台
皇居 東御苑 天守台
天守や大奥、将軍の御殿があった本丸が中心で、その東にお世継ぎなどが住んだ二の丸、さらにその東に三の丸がありました。本丸の西にご隠居の大御所が住んだ西の丸、吹上があり、今は西の丸には宮内庁と宮殿、吹上には天皇陛下のお住まいがあります。西の丸の前には西の丸下、現在の皇居前広場があります。ここまでが内堀です。その外側に外堀があります。
1657年に起きた明暦の大火で天守閣は焼失してしまいました。焼失後すぐに再建に取りかかり、天守台の石垣は加賀藩前田家の寄進によって造られました。この台座はその当時のものです。しかし、天守の再建は当時の将軍後見役で、家光の異母弟、会津藩主の保科正之が「被災した人たちの救済と江戸の街の再建が先であろう。いまは、天守再建の時にあらず。」と宣言して、築城工事が見送られました。保科正之の判断の中には、すでに戦国の世は遠く、天守によって幕府が天下を威嚇する時代ではないとの考えがあったと言われています。
松の廊下跡
■ 松の廊下跡
松の廊下跡
本丸跡左手の現在は木立となっているところに、本丸大広間と白書院(将軍との対面所)を結ぶL字形の廊下がありました。これが「松の廊下」です。
ここが「忠臣蔵」で有名な元禄14年、赤穂藩主の浅野匠頭長矩が高家衆筆頭の吉良上野介義央に斬りかかる刃傷事件が起きた場所です。
上野介は軽傷でしたが、殿中での刃傷はご法度であったので、内匠頭はその日のうちに切腹となりました。その後、赤穂藩は取りつぶしとなり、家臣たちは浪士となりました。
一方、上野介には御咎めはなく、お家の再興も退けられた浪士が大石内蔵助をかしらに亡君の仇討を計画し、元禄15年(1702)12月15日に吉良邸に討ち入り本懐を遂げました。
皇宮警察本部坂下護衛署北桔橋門警備派出所
皇宮警察本部
https://www.npa.go.jp/kougu/
北の丸公園 吉田茂像
■ 北の丸公園 吉田茂像
北の丸公園 吉田茂像
北の丸公園中央通りから清水門に抜ける芝生地の一角に吉田茂像はあります。外務次官や駐英大使など要職を歴任している間において欧米諸国に知己を得たことを継起に米英通となりましたが、親米英派であるとして軍部から目をつけられていました。戦後は日本の復興と世界外交復帰に尽力し、サンフランシスコ講和条約の締結などでは、持ち前の行動力で日本の政治・外交を牽引しました。銅像は、船越保武により1981年(昭和56年)に建立されました。
日本武道館
■ 日本武道館
日本武道館
この日本武道館は、武道を愛好する国会議員各位の熱意と、政府、財界並びに国民の総意による力強い支援によって創建されました1964年9月、日本武道が完成しました。第18回オリンピック東京大会では、初めて正式競技に採用された日本の国技・柔道の競技会場として、熱戦がおこなわれました。コンサートで訪れた方も多いのではないでしょうか?
日本武道館のホームページはこちらから
https://www.nipponbudokan.or.jp/
田安門
■ 田安門
田安門
田安門は国指定重要文化財です。
門名の由来は、門内には田安台といって,はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれています。江戸城造営後は北丸と称し,代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
1730年、八代将軍吉宗の第二子宗武は,ここに一家を創立して田安家を興しました。宗武の子松平定信はここで生まれました。
現在田安門がある北の丸公園には,田安門から南北をつらぬくように西側一帯を田安家,東側一帯を清水家が所有していました。
高燈篭(常燈明台)
■ 高燈篭(常燈明台)
高燈篭(常燈明台)
靖国神社正面の常夜灯として明治4年(1871)に建設されました。靖国神社に祀られた霊のために建てられたといわれています。 正式には高燈篭といいますが、常燈明台ともいわれています。 当時、九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行きかう船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たしました。
ゴール 靖国神社
■ ゴール 靖国神社
ゴール 靖国神社
ゴール・靖国神社
「東京の桜の開花」とは、東京のどの桜の木が、どういう状態になったら「開花」というのでしょうか?東京の開花の基準となる木はここ靖国神社にあります。この木の花の5〜6輪咲いた状態が開花、8割以上開いた場合が満開です。この桜はソメイヨシノです。
靖国神社のホームページはこちらから
https://www.yasukuni.or.jp/
桜の標本木紹介のホームページはこちらから
https://weathernews.jp/s/topics/201603/150035/
それではまた。バイバイ!!