スタート 築地本願寺
■ スタート 築地本願寺
スタート 築地本願寺
スタート・築地本願寺
築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の寺院です。江戸時代、1617年に、京都の西本願寺の別院として浅草の近く、横山町(地下鉄・馬喰横山駅近辺)というところに建てられました。 江戸時代・1657年の明暦の大火で横山町の別院が焼失し、現在の地に移ってきました。
関東大震災で失われた旧本堂の復旧事業として1931年に東京帝国大学の建築家・伊東忠太先生に設計を依頼し、現在の建物は、1934年に完成しました。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造のものです。
築地本願寺のホームページはこちらから
https://tsukijihongwanji.jp/
狛犬?
築地本願寺にはへんな動物らしきものがいっぱいあります。
築地本願寺を参詣して、はじめに目に飛び込むのが、中央階段の左右に鎮座する羽根をまとった動物像(狛犬?狛獅子?)です。ここ築地本願寺には奇妙な?動物の彫刻類がたくさんあります
築地本願寺 動物案内図
実は伊東先生は妖怪研究の第一人者で伊東忠太の「妖怪研究」という本まで出版しています。子供の頃に読んだ妖怪を夢想しスケッチしたり、学生時代、中国からインド・トルコを旅し、目にしたものを築地本願寺で表現しました。
伊東先生はなんと中国では雲岡石窟を発見してます。鳥や牛、猿、インドでは神の使いとされるゾウもいます。境内にあるたくさんのへんな動物像を探してみましょう。
本堂の中には境内にある動物の解説もありますので、探して見てください。
築地川公園
■ 築地川公園
築地川公園
築地川公園
築地本願寺を後にして、最初に目に飛び込むのが、「築地川公園」です。実はこの公園は埋め立て地で、、江戸時代に造られた築地川が流れていました。現在は埋め立てられ、跡地の一部が公園になっています。なんと、築地川公園の付近は、首都高速道路が建設される予定でしたが、工事が中止されていて、地上部分が築地川公園になっています。この公園はデイキャンプができます。また、キャッチボール場やバスケットエリア、わんわん広場というドッグランの場所があります。
芥川龍之介生誕の地
■ 芥川龍之介生誕の地
芥川龍之介生誕の地
芥川龍之介生誕の地
1892年、当時の京橋区入船町で芥川龍之介は、牛乳製造販売業を営む新原敏三の長男として生まれました。生後すぐに母の実家の芥川家に預けられ、叔父芥川道章の養子となり芥川姓を名乗ることになったそうです。芥川龍之介は東京帝国大学在学中、夏目漱石の門下生となり、地獄変、羅生門、河童等の名作を発表後、35歳の若さで自害し、その生涯を閉じました。明治初期の絵地図を見ると、この入船町は、築地の居留地の西端で、近辺には乳牛の牧場があったようです。築地本願寺方向の対面には日刊スポーツの本社もあります。時代が変われば、まちも変わるものですね。
浅野内匠頭邸跡
■ 浅野内匠頭邸跡
浅野内匠頭邸跡
浅野内匠頭屋敷の碑
築地川公園の周辺には赤穂浪士で有名な浅野内匠頭邸跡の碑が建っています。このあたりは播州赤穂浅野藩の上屋敷があったところです。この屋敷は約8,900坪あり、今の聖路加看護大学がその跡地です。浅野内匠頭は9歳で家督を継いで大名となり、34歳で江戸城・松の廊下(皇居東御苑でその跡地を今も見ることができます)の刃傷沙汰で切腹し、その生涯を閉じました。しかし、大名としての播州赤穂藩浅野家は再興されませんでしたが、浅野家は再興されました。1710年、浅野内匠頭の弟・浅野大学は6代将軍家宣に御目見えし、5百石で旗本寄合に列せられ、知行こそ減らされましたが家名の存続は許されたのです。
聖路加国際病院前
■ 聖路加国際病院前
聖路加国際病院前
聖路加病院
いよいよ聖路加国際病院の解説をしましょう。聖路加国際病院は1902年に設立され、戦前には皇室との関係深かったようです。名誉院長はメディアで有名な日野原重明先生です。
「病院ランキング」では、常に上位にランクされ、虎の門病院など並んで日本で最も医学生の人気の高い研修先のひとつとなっているようです。病院名は、使徒パウロの協力者の一人であり、新約聖書の福音書の一つである『ルカによる福音書』の著者とされる聖人ルカの漢字表記に由来します。。聖ルカは、『コロサイ人への手紙』で「親愛なる医者のルカ」(4章14節)と呼ばれていることから、キリスト教圏ではしばしば病院の名前に使われています。そういえば、私のダブリンの友人の医師の名前もルークです。聖路加国際病院の「正式な読みは「せいるか」だそうです。私はずっと「せいろか」だと思っていました。
聖路加国際病院のホームページはこちらから
https://hospital.luke.ac.jp/
慶應義塾大学発祥の地
■ 慶應義塾大学発祥の地
慶應義塾大学発祥の地
慶應義塾大学発祥の地&「蘭学の泉はここに」の碑
次は聖路加病院方向に歩きましょう。聖路加病院の少し手前には、慶應義塾大学発祥の地と「蘭学の泉はここに」の碑が同じ場所に建っています。実はこの地は九州・中津藩(今の大分県中津市・鳥の唐揚げで有名なところ)の上屋敷があり、その中で福沢諭吉が蘭学塾を開き、1868年に名称を変更して、慶應義塾としたことが始まりです。慶應義塾は前にある聖路加病院の敷地内に在ったたようですが。「蘭学の泉ここに」のほうは時代は遡って、1774年に同じ中津藩邸で前沢良沢、杉田玄白、中川淳庵の三人が、オランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」を翻訳した場所です。
慶應義塾大学のホームページはこちらから
https://www.keio.ac.jp/ja/
立教学院発祥の地
■ 立教学院発祥の地
立教学院発祥の地
立教学院、青山学院、明治学院、女子聖学院、雙葉学園、関東学院、立教女学院、発祥の地
この周辺では実に多くの学校が産声を上げています。立教学院、青山学院、明治学院、女子聖学院、雙葉学園、関東学院、立教女学院、そして慶應義塾が産声を上げました。時間があれば、これらの場所を巡っても面白いのではないでしょうか?
立教学院のホームページはこちらから
https://www.rikkyogakuin.jp/
青山学院のホームページはこちらから
https://www.aoyama.ac.jp/
明治学院のホームページはこちらから
https://www.meijigakuin.ac.jp/
聖路加国際病院の次は佃大橋を目指します。佃大橋の前には和菓子の名店・塩瀬総本家があります。「日本のあんこ入り饅頭」の起源は塩瀬総本家のようです。
塩瀬総本家のホームページはこちらから
https://www.shiose.co.jp/
ニチレイ前
■ ニチレイ前
ニチレイ前
ニチレイ本社
ついに佃大橋につきました。佃大橋の前には冷凍食品で有名なニチレイさんがあります。ニチレイの広告はフィギュアスケートやゴルフのイベントでよく見ますよね。
1955年には冷凍みかんの販売を開始したそうです。ところで冷凍みかんはいつごろ、どのような理由でできたのでしょうか?みかんは夏場には温くなってしまうため、冬から春頃にしか販売できませんでした。みかんを通年販売できる商品にしようという考えから発案され、大洋漁業(現・マルハ)と鉄道弘済会の共同開発で製造されました。収穫したみかんをそのまま夏まで冷凍することにし、1955年(昭和30年)から小田原駅のキヨスクで販売するようになったのが始まりです。昭和30年代から40年代が出荷のピーク(1964年当時は1000万個)となり、学校給食の人気デザートとしての立場を不動のものとなりました。
冷凍みかんを題材とした「冷凍みかん」がヒットしました。この「冷凍みかん」の歌は静岡エフエム放送 (K-MIX)でオンエアされて県内で、大ヒットしたのち、日本全国でもヒットしました。これに連動して食べ物としての冷凍みかんの売り上げも急増し、2005年の売り上げが90万個であったのに対し、翌年には倍以上になったそうです。
ニチレイのホームページはこちらから
https://www.nichirei.co.jp/
佃大橋
■ 佃大橋
佃大橋
佃大橋を渡ります。天気が良い日には向かって左手に東京スカイツリーがよく見えます。
佃大橋
1964年、東京オリンピックに備え、戦後初めて、隅田川に架けられた橋です。これにより、約320年続いた「佃の渡し」は廃止され、当時まで島であった佃島は陸続きとなりました。ちなみに隅田川に掛かる橋は上流から千住大橋、水神大橋、白髭橋、桜橋、言問橋、
吾妻橋、駒形橋、厩橋、蔵前橋、両国橋、新大橋、清洲橋、隅田大橋、永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋、築地大橋の18橋あります。
佃島 佃煮店
■ 佃島 佃煮店
佃島 佃煮店
佃島 佃煮店
佃島の漁民の故郷は摂津国・佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区佃)です。本能寺の変が起きた時、徳川家康はわずかな手勢とともに大坂、堺にました。家康は本拠地の岡崎へと戻ろうとしたが、神崎川(現在の大阪市住吉区)で川を渡る舟が無く進めなくなりました。そこで佃村の漁民たちが、家康一行に漁船を提供しました。その結果、家康たちは岡崎に戻ることができました。後に家康が江戸に入った際、命を救ってくれた摂津・佃村の漁民たちを江戸に呼び寄せ、特別の漁業権を与え、この地に佃村ができました。
佃煮
天安のホームページはこちらから
https://www.tenyasu.jp/
田中屋の紹介ホームページはこちらから
https://nttbj.itp.ne.jp/0335312649/index.html
住吉神社
■ 住吉神社
住吉神社
佃島 住吉神社
住吉神社
1590年、徳川家康が江戸に入った際、家康の命により、佃村の漁夫33人と神主が江戸に移り、幕府から下賜されたこの地を埋め立て佃島を増築しまし、永住することになりました。故郷の摂津国佃村にちなんで佃と命名し、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀れ、この地に住吉神社が創建されました。
大旗幟柱
■ 大旗幟柱
大旗幟柱
大旗幟柱が埋まっているところ
住吉神社は毎年夏にお祭が開催されます。3年に1度の本祭では大幟柱が立てられます。佃堀にかかるこの佃小橋からはこの旗の埋立地を見ることができます。
これが埋まっています。
https://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2015/07/post-2600.html
月島もんじゃストリート
■ 月島もんじゃストリート
月島もんじゃストリート
月島もんじゃストリート
月島・西仲通り商店街は通称月島もんじゃストリートの愛称で呼ばれています。この通りには約80件のもんじゃ焼きのお店があり、町中、ソースの香りが漂っています。
このあたりで、コースのほぼ三分の二を歩きました。そろそろ、お腹も減ってきたと思いますが、ゴールには築地の美味しいものも待っているので、月島、築地とどっちにするか、迷うところですね。月島の隠れた名物レバカツっていう手もありますね。
月島もんじゃストリートのホームページはこちらから
https://www.monja.gr.jp/
レバカツの紹介ホームページはこちらから
https://portal.nifty.com/2011/05/28/c/
月島西仲通り交番
■ 月島西仲通り交番
月島西仲通り交番
勝鬨橋
■ 勝鬨橋
勝鬨橋
勝鬨橋
1940年に完成した現存する可動橋(跳上橋)です。1980年に橋の交通量の増加に伴い、跳開をやめました。橋の真ん中辺りで橋の下を見ると橋が跳ね上がっていた頃の面影を
見ることができます。勝鬨橋は国の重要文化財です。
勝鬨橋の紹介ホームページはこちらから
https://www.zenitaka.co.jp/bridge/kachidoki.html
おまけ 勝どき5丁目緑地
勝鬨橋の西側の隅田川沿いに小さな公園(緑地)があります。この公園から見る夜景は絶景で、隅田川越しに、汐留地区や築地、今通ってきた明石町のビル群の夜景を見ることが出きます。
勝どき5丁目緑地のホームページはこちらから
https://www.nightview.info/yakei/detail/kachidoki_forest/
ゴール 築地本願寺
■ ゴール 築地本願寺
ゴール 築地本願寺
ゴール 築地本願寺の中
ゴールは出発の場所、築地本願寺です。月島のもんじゃの誘惑に負けなかった方は、いよいよ、築地の美味しいものが待ち構えています。また、この築地場外にはあの吉野家の一号店も現存しますので、場内、場外を探索して、美味しいお店を探してみてください。
築地場内のホームページはこちらから
https://www.tsukijigourmet.or.jp/
築地場外のホームページはこちらから
https://www.tsukiji.or.jp/
吉野家のホームページはこちらから
https://www.yoshinoya.com/
ちなみにすき家と松屋のホームページはこちらから
すき家のホームページはこちらから
https://www.sukiya.jp/
松屋フーズのホームページはこちらから
https://www.matsuyafoods.co.jp/
このコースをインストラクターと一緒に歩くことができます。
詳しくは、ウォーカーズハイのサイトでご確認ください。
それではまた。ハイバイ!!