MusikPlatzの音楽ひろば通信第3号【サン=サーンス作曲 交響詩「死の舞踏」〜ヨーロッパの死生観と芸術的な意味〜】

MusikPlatzの音楽ひろば通信第3号【サン=サーンス作曲 交響詩「死の舞踏」〜ヨーロッパの死生観と芸術的な意味〜】

ここ数年、日本でもハロウィンがすっかり定着し、この季節は街中で踊る骸骨や笑うおばけを目にすることが増えましたよね。
今日は、そんなモチーフが目に浮かぶような音楽、歴史的な意味を掘り下げてみましょう。


まずは聴いてみましょう♪

この曲はまさに「死の舞踏」という曲なんです。
今日はこの曲と、ヨーロッパに昔からある「死の舞踏」というテーマについてお話ししましょう。

「死の舞踏」って何?

「死の舞踏」って何?

「死の舞踏」って何?

今回取り上げるのは、フランスの作曲家 サン=サーンス作曲の交響詩「死の舞踏」ですが、インターネットで「死の舞踏」と検索すると
『死の舞踏 (美術) 』と『死の舞踏 (サン=サーンス)』という2つの項目がヒットします。

美術の世界では『死の舞踏』というテーマに大きな意味があります。

その起源は14世紀に遡ります。
世界で大流行し人々に恐怖を与えていたペストが、大変な数の犠牲者を出し、当時のヨーロッパの30%以上にあたる2500万人が亡くなったと言われています。

当然、当時は有効な治療や対策もなく、高熱と下痢を発症し、最期には皮膚が黒く変色し多くの人が命を落としていく様子に、いかに人の命がもろく、現世での高い身分やお金は、死の前には全て無意味であるということを当時の人々はまざまざと見せつけられました。

あまりに死者が多く、葬儀や埋葬も追いつかず、人々は恐怖に怯えました。
教会では生き残って集まった人々に対して「メメント・モリ(死を想え)」という説教が行われ、早かれ遅かれいずれ訪れる死に備えるように説かれました。ですが、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈祷の最中、墓地での埋葬中、または広場などで自然発生的に半狂乱になって倒れるまで踊り続け、この集団ヒステリーの様子が『死の舞踏』と呼ばれるようになりました。

※ 死の舞踏

※ 死の舞踏

この『死の舞踏』は、生きている間は王族や貴族などの異なる身分に属して、それぞれの人生を生きていても、死が訪れれば身分や貧富の差なく、無に統合されてしまうという死生観を示すテーマとして、14~15世紀の中世末期のヨーロッパで広がり、その後近代に至るまで多くの画家に取り上げられてきました。

交響詩「死の舞踏」

交響詩「死の舞踏」

交響詩「死の舞踏」

さて、やっと今日の本題、サン=サーンスが作曲した交響詩「死の舞踏」についてです。
サン=サーンスはフランスを代表する作曲家です。
彼は少年時代からフランス古典文学やラテン語を学び、音楽意外にも詩・天文学・生物学・数学・絵画などさまざまな分野に興味を持ち、才能豊かな人でした。

※ サン=サーンス

※ サン=サーンス

「死の舞踏」はサン=サーンスが37歳のとき、フランスの詩人アンリ・カザリスの奇怪で幻想的な詩に霊感を得て、まずは歌曲として作曲されその後管弦楽曲としてまとめられました。

午前0時の時計の音とともに骸骨が現れて不気味に踊り始め、次第に激しさを増していきますが、夜明けを告げる雄鶏の声が響きわたるや墓に逃げ帰り、辺りが再び静寂に包まれるまでを描写的に表現されています。

(アルフレート・レーテル作「死の舞踏、再び(Auch ein Totentanz)」(1848)よりRethel Tod als Erwürger]

(アルフレート・レーテル作「死の舞踏、再び(Auch ein Totentanz)」(1848)よりRethel Tod als Erwürger]

楽譜の冒頭には、カザリスの詩から数行が引用されています。

「 ジグ、ジグ、ジグ、墓石の上
踵で拍子を取りながら
真夜中に死神が奏でるは舞踏の調べ
ジグ、ジグ、ジグ、ヴァイオリンで

冬の風は吹きすさび、夜は深い
菩提樹から漏れる呻き声
青白い骸骨が闇から舞い出で
屍衣を纏いて跳ね回る

ジグ、ジグ、ジグ、体を捩らせ
踊る者どもの骨がかちゃかちゃと擦れ合う音が聞こえよう

静かに! 突然踊りは止み、押しあいへしあい逃げていく
暁を告げる鶏が鳴いたのだ 」

この曲に関しては、細かい描写を説明するより、
曲を聴いてイメージをするだけで楽しめるでしょう!

今すぐ「死の舞踏」

今すぐ「死の舞踏」

今すぐ「死の舞踏」

せっかくなので、アンリ・カザリスの詩からインスピレーションを受け最初に作曲した歌曲の「死の舞踏」を聴いてみましょう。

いかがでしたか?
最後に、歌曲版の最後の歌詞をご紹介しましょう。

「おお、亡者たちの美しき夜!
死んでしまえばみな平等だ! 」

サン=サーンスは1835年生まれなので、ペストが流行した時代の人物ではありません。それでも、身分や貧富の差はどの時代にもつきまとう問題。
才能豊かで博識だった彼は、「死の舞踏」というテーマに思うところがあったのではないではないかと想像します。

音楽や芸術はどの時代も、人々が思い訴え、社会の問題を提起する手段でもありました。
それぞれの作品にどんな意味が隠されているか、作られた経緯や背景を知って聴いてみるのも面白いですね♪




この記事のライター

《音楽ひろば通信》では毎回1曲、またはひとつのテーマで、クラシック音楽の魅力・楽しみ方をご紹介します。

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