アーグラ城塞の歴史と物語
■ アーグラ城塞の歴史と物語
アーグラ城塞の歴史と物語
インドのアーグラにある「アーグラ城塞(Agra Fort)」は、ムガル帝国時代の城塞です。
城壁は赤砂岩で築かれていることから、「赤い城」とも呼ばれています。
その歴史は16世紀。
当時ムガル帝国の第3代皇帝であったアクバルは、デリー(現在の首都)からアーグラへの還都に伴い、このアーグラ城を建設しました。
その後第4代皇帝ジャハーンギール、第5代皇帝シャー・ジャハーン(タージ・マハルの建設者)まで、3代の居城として使用されていました。
タージ・マハルを紹介した前回の記事でもお伝えしたように、
亡き愛妃のために「タージ・マハル」を建設した第6代皇帝シャージャ・ハーンが実の息子アウラングゼーブによって幽閉されたのが、このアーグラ城塞です。
実は、シャージャ・ハーンが重病になると、アウラングゼーブを含めた三人の息子たちの間で継承争いが勃発します。
そこで次男のアウラングゼーブは、兄と弟を殺害し、父であるシャージャ・ハーンをこのアーグラ城内にある「囚われの塔」に、彼がなくなるまで幽閉し、自らは第6代皇帝を継承したのでした。
すごい執着心ですよね・・・。
その後アウラングゼーブは首都をデリーに戻し、ムガル帝国の最盛期を築いていったのです。
一方幽閉されたシャー・ジャハーンは、「囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)」の窓から、自らが建設した愛妃の墓タージ・マハルを眺め、想いながら亡くなっていったのでした。。
このようにアーグラ城は、ムガル帝国皇帝たちの歴史、
そしてシャー・ジャハーンの切ない愛の物語の舞台となったのです。
いざ、アーグラ城へ!
■ いざ、アーグラ城へ!
いざ、アーグラ城へ!
アーグラへの行き方は様々ありますが、一般的なのは鉄道です!
首都デリーからは片道3時間半となっています。
わたしは「バラナシ」という街から、寝台列車で約15時間かけ、アーグラに到着!
(電車が予定より4時間半遅れ、かなりの長旅となりました。インドあるあるですね・・・)
アーグラには鉄道の駅が二つ。
私が着いたのは、「アーグラフォート駅」。
アーグラフォートとはアーグラ城塞の英語名で、まさにアーグラ城の目の前にあります!
赤レンガ造の駅は、どことなくアーグラ城に似ています。
バックパックが重かったのと、暑すぎて歩くことを諦め、リキシャでアーグラ城塞へ。
チケットは550ルピー(約860円)。
外国人価格は、インド人の10倍・・・。
高いけど、途上国だから仕方がない!
ちなみにこの日(6月上旬)も最高気温45度。
運悪く、インドでも記録的な熱波にぶち当たりました。。
水は常時ペットボトル2本は持ち歩かないと、
熱中症になってしまいますのでご注意を。
チケットを見せ、荷物検査です。
インドでは、荷物検査やカウンターが男女が別々になっていることも多いです。
その場合当然スタッフも、女性には女性、男性には男性、となっています。
ヒンドゥー教やイスラム教への配慮なのだと思いますが、
私は日本での癖が抜けず、何も考えずに並び気づいたら男性通路だった、
ということが空港などで度々ありました(笑)
アジア大好きトラベラー