武田氏3代の居城、甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)紹介

武田氏3代の居城、甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)紹介

風林火山の旗をなびかせた軍団の館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)には、武田氏3代、隆盛と滅亡の物語がありました。
役目を終えた躑躅ヶ崎館は、甲府の観光名所として、今は、静かな時間を取り戻しています。


人は城 人は石垣 人は堀

人は城 人は石垣 人は堀

人は城 人は石垣 人は堀

山梨県甲府市にある躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、有名な甲斐の戦国大名、武田信玄の本拠地でした。
「人は城 人は石垣 人は堀 」人が最大の資源であり、人心をつかんで、どんな敵にも負けないという意味です。
この言葉通り、武田信玄 は、甲斐国に大きな城を築かず、質素なこの館に住み続けたと言われています。
現在は、武田神社として山梨の観光名所となっているので訪ねてきました。

武田神社

武田神社

武田神社

甲府盆地は、明石山脈、秩父山地、関東山地、御坂山地に囲まれた釜無川と笛吹川の両河川を中心とした扇状地です。

躑躅ヶ崎館(現、武田神社)は甲府盆地の北側を画する秩父山地の裾野に始まり、相川扇状地の傾斜地上に位置しています。

晴れの日は、躑躅ヶ崎館から甲府盆地が一望できるので、すごく気分がいいですよ。
そして、神社側から街を見ると、緩やかな下り坂になって見下ろす形で、こちらもいい気分です。

躑躅ヶ崎館(武田神社)の呼び名は館の東方に延びている尾根によるもので、甲府盆地の北端、扇状地の「要」の部分に館を置き、南は現在の甲府城あたりまでありました。

一条小山、西は湯村山に砦が築かれ、東側の山には「亭候」と呼ばれる休息城兼砦が築かれていました。

上の方に登ると信玄が生まれたとされる要害山上部が見えます。

躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館

躑躅ヶ崎館は、武田信玄の父信虎によって1519年に築城されました。
翌1520年にが要害山城を、1523年には湯村山城を、1524年には、後に甲府城が築かれる場所、一条小山に砦を築いて、これら3つの支城とともに防御を固めていました。

古図を見てみると、庭園とされている場所からは庭石と考えられる石が出土しています。
主郭部の南側には庭園が存在していたようです。
主殿・会所・常御殿・庭園からなる構成は、朝倉氏館等と同じく室町幕府の花の御所を模したもので、当時の大名(信虎)が未だに室町幕府の旧来の大名としての性格を残していたことを物語っています。

躑躅ヶ崎館は、主郭を中心に周囲を曲輪で囲んでいますが、信虎が築城した当初は主郭部のみであったと考えられています。

1551年、嫡男 義信の婚儀に伴い西曲輪が新造され、その後、信玄による領国拡大に伴って拡張されたようです。

南側の梅翁曲輪と東側の大手外曲輪は、武田氏滅亡後に築かれたとのことでした。

当時、現在の躑躅ヶ崎館の正面入口には門はなく、堀と土塁がめぐっていました。

1919年に武田神社がこの地に創建された際に造られました。

信虎築城時にはこの四角部分のみであった可能性が高く、規模も小さいものであったと考えられています。
現在の武田神社境内です。

この点が織田・豊臣系城郭と大きな違いで、館は武田氏の守護所として築かれたことを表しています。

武田氏滅亡後は、天守が建てられて、現在も石垣の痕跡が残っています。
それは、滅亡後の甲斐の国は徳川家、そして豊臣家によって支配されたからです。

躑躅ヶ崎館は甲斐統治の拠点として館の内外が改修されたのです。
館も南側、少し離れた場所に明らかに堀の跡と分かる場所があります。
武田家滅亡後、新しい領主によって追加された曲輪たちです。
大手がある館の東側は、武田氏時代にあった三日月型の堀の上に、新たに石垣による塁壁が造られました。

上には門を守るための建築物があったようです。
外側には広い曲輪が設けられ、土塁と堀によって囲まれています。
主郭はいくつかに区切られ、守りが固められました。

そして、北西の隅に天守台が築かれることになります。
この天守台は、武田神社の裏手に当たり、関係者以外立入禁止となっているので見学することができませんでした。

武田氏時代の躑躅ヶ崎館は、堀や土塁で囲まれていますが、館に籠って大勢を敵を撃退することは難しそうです。
躑躅ヶ崎館は信玄の時代、その名の通り館だったのです。

主郭には、武田家当主が使う御殿があったはずで、各方面に進出する武田軍の役会議がここで行われていたのでしょう。
川中島や三方ヶ原、そして長篠など多くの合戦の前に、ここで武田当主と重臣たちの話し合いが行われていたのでしょうか!?

信虎は甲斐国を統一し、躑躅ヶ崎館を築城し、さらに、城下町も整備し、家臣団を住まわせるなど、当時としては画期的な政策を実行し、その後の信玄の飛躍の基礎をつくりました。

1554年、信玄が北条氏、今川氏と甲斐・相模・駿河、3国同盟を結び、南と東からの脅威をなくすと、国人諸勢力が乱立する信濃に侵攻を開始します。

織田徳川など周辺諸国の軍勢による甲斐侵攻が予想されるようになると、武田家当主、勝頼は甲斐を守るため韮崎に新府城を築き、武田家の本拠を移します。

その後、勝頼は新府城での決戦は行わず、天目山に向かう途中自害し、武田家は死亡してしまいます。

武田水琴窟

武田水琴窟

武田水琴窟

戦とは別ですが、癒されるものが残されています。

武田神社には、水琴窟(すいきんくつ)という、水鉢に水滴を落下させることで発せられる音を反響させる仕掛けがあります。

竹の筒を通して土中に埋めた瓶に水を流すと、琴の音色に似た透き通った美しい音を聞く事が出来るそうですが、耳を近づけると、キーンという音が聞こえるだけでした。
ちょっと耳が悪い?

姫の井戸

姫の井戸

姫の井戸

武田神社には、「姫の井戸」と呼ばれる井戸もあります。
名前の由来は、武田信玄の娘が生まれた時に、この水を産湯に使用したからだそうです。

ちなみに、珍しい。この水は飲めるそうです。
ためらいましたが、飲んでみました。

武田信玄 公御墓所/火葬塚

武田信玄 公御墓所/火葬塚

武田信玄 公御墓所/火葬塚

武田神社から甲府駅に帰ろうとしたら、近くに信玄のお墓があるとのことで、寄ってみました。

武田信玄公は、天下統一目前 志半ばで亡くなります。
徳川を破った後 信長との勝負目前でした。
信玄は、病の中、信玄が死んだとあっては反撃にあってしまうと思い、その死を3年間秘密にするよう遺言を残したそうです。
3年後、塩山の恵林寺で葬礼を行い、埋葬されましたが、死を隠していた3年の間、葬らえていたといわれているのが、こちらの場所だそうです。

そのせいか、魔縁塚とも呼ばれていたそうで、里の人は恐れて近づかなかったといわれています。
その後、石棺が掘り出されることになるのですが、石棺に刻まれていた法名が信玄のものであることを知り、江戸幕府に届け出たことで信玄の墓として幕府のお墨付きを得ることになりました。
その後、武田家の旧臣子孫らがその場所に建てた墓碑が、今も残り、いまだに参拝者が絶えないそうです。
ロマンですね。

時間がなく、たくさんまわれなかったので、いつか、続きを報告しますね。




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