古事記がさす、もう一つの「日本三大神宮」の正体

古事記がさす、もう一つの「日本三大神宮」の正体

あなたの「日本三大神社」三社目は、どこですか?
「日本三大神社の三社目はどこか」という素朴な疑問に、古事記と日本書紀から答えが出します。伊勢神宮と出雲大社。この二社に並ぶ三社目を、多くの人は熱田や春日と考えます。けれど古典をたどると、奈良に眠る意外な一社が浮かびました。行きたくなりますね。


「あと一社」が、どうしても決まらない

「あと一社」が、どうしても決まらない

「あと一社」が、どうしても決まらない

御朱印帳のページをめくりながら、ふと考えたことはありませんか。

日本三大神社、あるいは日本三大神宮。伊勢神宮と出雲大社、この二社は揺るがない。けれど「三社目」となった途端、急に話がぼやけてしまう。熱田神宮だ、いや春日大社だ、明治神宮こそだと、人によって答えが割れるのです。

実を言うと、その違和感は正しいのです。なぜなら「日本三大神社」には、国が定めた公式の答えが存在しないからです。三大○○の多くがそうであるように、これは後世の人々が語り継ぐなかで、なんとなく形になってきた呼び名にすぎません。

だからこそ、面白い。今回は古事記と日本書紀という、最も古い手がかりに立ち返って、私なりの「三社目」を先にお示しします。

そもそも「神宮」は、めったに名乗れなかった

そもそも「神宮」は、めったに名乗れなかった

そもそも「神宮」は、めったに名乗れなかった

三社目を探す前に、ひとつ押さえておきたい事実があります。

「神社」「大社」「神宮」。普段あまり意識しませんが、この呼び名には格の違いがあります。なかでも「神宮」は別格で、古代にはごく限られた社しか名乗ることを許されませんでした。

その証拠が、平安時代の延長五年(927年)にまとめられた神社の公式リスト、延喜式神名帳です。当時、全国2861社が記されましたが、そのなかで「神宮」と呼ばれたのは、わずか三社だけでした(出典:延喜式神名帳)。

ところが、ここで話がねじれます。古い時代の文献によって、「神宮」とされる三社の顔ぶれが違うのです。整理すると、こうなります。

最も古い日本書紀(8世紀)で「神宮」とされたのは、伊勢、石上、そして出雲の三社(諸説あり)。ところが平安時代の延喜式神名帳(927年)になると、石上と出雲が外れ、代わりに鹿島と香取が入って、伊勢・鹿島・香取の三社になります。

お気づきでしょうか。典拠によって、顔ぶれが変わるのです。

どちらにも伊勢は入っています。けれど二社目以降が、時代によってすっかり入れ替わっているのです。そして、私たちが鉄板だと思っていた出雲大社は、平安時代の延喜式のリストからは、すでに「神宮」として姿を消しているのです。

古事記・日本書紀がさす三社目は、奈良の石上神宮

古事記・日本書紀がさす三社目は、奈良の石上神宮

古事記・日本書紀がさす三社目は、奈良の石上神宮

では、最も古い日本書紀を手がかりにしましょう。

日本書紀で「神宮」と記された社は、伊勢、出雲(出雲大神宮、のちの出雲大社)、そしてもう一社。それが、奈良県天理市に鎮座する石上神宮です(出典:奈良県観光公式サイトほか、諸説あり)。

聞き慣れない名かもしれません。けれど石上神宮は、日本最古級の神宮とされ、記録のうえでは伊勢神宮と並ぶほど早く「神宮」を名乗った、由緒の格別な社なのです。

そして、ここからが古事記好きにはたまらない話です。

石上神宮のご神体は、布都御魂(ふつのみたま)という一振りの剣。これは、古事記と日本書紀の国譲り神話で、武甕槌神(たけみかづちのかみ)が大国主神に国の譲渡を迫ったとき、まさに手にしていた霊剣だと伝わります。さらにこの剣は、のちの神武東征で、熊野の地で窮地に陥った神武天皇を救ったとも記されています(出典:古事記・日本書紀、石上神宮社伝)。

少し立ち止まって、線をつないでみてください。

天照大神をまつる伊勢。大国主神に国を譲らせた出雲。その国譲りを成し遂げた剣が眠る、石上。
三社は、ばらばらに偉いのではありません。日本の国の成り立ちという、ひとつの物語の背骨として、見事に連なっているのです。出雲と伊勢を、一本の剣がつないでいる。だから私は、三社目に石上神宮を推します。

なぜ延喜式では、鹿島・香取に入れ替わったのか

なぜ延喜式では、鹿島・香取に入れ替わったのか

なぜ延喜式では、鹿島・香取に入れ替わったのか

ここで誠実に、もうひとつの謎にも触れておきます。

平安時代の延喜式になると、三社目は石上から鹿島・香取へと入れ替わり、石上神宮は正史の表舞台から静かに退いていきました(出典:延喜式神名帳)。

一見、断絶のように見えます。けれど、よく見ると神話の糸は切れていません。鹿島神宮にまつられるのは武甕槌神。香取神宮にまつられるのは、ともに国譲りを担った経津主神(ふつぬしのかみ)。つまり時代が下って、人々の崇敬は「剣そのもの」を守る石上から、「その剣を振るった神々」をまつる鹿島・香取へと移っていったのです。

主役が剣から神へ。器は替わっても、流れている物語は同じ。そう考えると、入れ替わりすらも腑に落ちてきます。

ひとつ、注意点も添えます。ここまでお話しした「三社」の顔ぶれには諸説あり、研究者の間でも読み方が分かれます。唯一の正解を断言するものではありません。けれど、正解が一つに定まらないからこそ、この問いは私たちの想像を掻き立てるのだと思います。

「三大神宮」は、世代ごとに描き直されてきた

「三大神宮」は、世代ごとに描き直されてきた

「三大神宮」は、世代ごとに描き直されてきた

ここまで来ると、最初の違和感の正体が見えてきます。

「三大神宮」の顔ぶれは、一度も固定されたことがありません。日本書紀の時代、延喜式の時代、そして天皇や功臣をまつる社が次々と神宮を名乗った明治以降。さらに今は、御朱印めぐりやパワースポット人気が、新しい「行きたい三社」を静かに描き直しています。

世代ごとに、人々はそのときの価値観で「トップ3」を選び直してきた。三大神宮とは、固まった石碑ではなく、時代が書き換え続ける、生きた地図なのです。

あなたの三社目は、どこですか

あなたの三社目は、どこですか

あなたの三社目は、どこですか

私の答えは、石上神宮でした。けれど、これはあくまで古事記をひもといた、ひとりの読み手の見立てにすぎません。

そこで、あなたに伺いたいのです。あなたにとっての「日本三大神社」三社目は、どこですか。御朱印帳に刻んできたあの社の名を、ぜひ聞かせてください。理由まで添えていただけたら、それはもう、あなただけの神話です。

そして、もし少しでも心が動いたなら。次の参拝は、まだ訪ねていない一社へ。布都御魂の眠る石上神宮へ、あるいは剣の神をまつる鹿島・香取へ。御朱印帳を一冊持って出かければ、古事記の物語が、紙の上で静かにつながり始めるはずです。

私がこうして神社を訪ね、書き続けているのは、一枚の御朱印の奥に眠る「物語の連なり」を、誰かと分かち合いたいからです。次の旅では、どこにいこうかな?わくわくの連続です。




この記事のライター

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