検索窓に「ならぬ 意味」と打った、あなたへ
■ 検索窓に「ならぬ 意味」と打った、あなたへ
検索窓に「ならぬ 意味」と打った、あなたへ
先日、ある言葉の意味が気になって、検索窓に「ならぬ 意味」と打ち込みました。
すると頭に浮かんだのは、辞書の語釈ではありませんでした。「ならぬものはならぬ」という会津の戒め。そして以前訪ねた、會津藩校日新館の凛とした空気だったのです。
ひとつの言葉から、つい歴史と旅の記憶へ飛んでしまう。自分の「濃さ」に、思わず笑ってしまいました。
けれど、もしあなたも同じように、この言葉のどこかに引っかかりを覚えているのなら。その感覚は、決して大げさではありません。なぜなら、この短い一文には、私たちが思っている以上に深い「ねじれ」が隠れているからです。
「ならぬものはならぬ」を、私たちは誤解しているかもしれない
■ 「ならぬものはならぬ」を、私たちは誤解しているかもしれない
「ならぬものはならぬ」を、私たちは誤解しているかもしれない
まず、言葉の出どころを押さえておきましょう。
これは江戸時代の会津藩で、六歳から九歳までの男の子たちが属した「什(じゅう)」という集まりの掟、いわゆる「什の掟」の結びの言葉です。子どもたち自身が、武士としてどうあるべきかを考えて作ったとされています。
掟は、以前も書いたような気がしますが、こんな内容でした。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、虚言をいふ事はなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
さて、ここで質問です。あなたは「ならぬものはならぬ」を、どう受け取っていたでしょうか。
おそらく多くの方が、「理屈や言い訳を抜きにして、ダメなものはダメ」という、頑として曲げない信念の言葉だと感じているはずです。私もそうでした。
ところが、本来の意味は少し違うようなのです。
これは、以前日新館を訪ねたときに教わりました。
展示の前でしばらく足を止めていた私に、隣にいた六十代と思しき初老の男性が、静かに話しかけてくれたのです。「この一文はね、決められたことは堅く守りなさい、と全体を締めくくる言葉なんですよ」と。反骨の宣言ではなく、掟そのものを「堅く守るべし」と念押しする、いわば結びの判のような役割だった、というのです。
名前も素性も伺いませんでした。けれど、よどみない語り口に、この土地で言葉が生きて受け継がれていることを感じました。
さらに驚いたのは、その方が続けた一言です。後世「ならぬものは」ばかりが強調されてきたけれど、什の掟で本当に重んじられたのは、実は第一条と第二条、年長者を敬うという「秩序」の部分なのだ、と。
反骨の象徴のように語られるこの言葉の芯は、もともと「秩序を守る」という、もっと静かなものだったのかもしれない。見ず知らずの方からの思いがけない一席に、私は最初の発見をもらったのです。
會津藩校日新館と会津武家屋敷で、時間の層に触れる
■ 會津藩校日新館と会津武家屋敷で、時間の層に触れる
會津藩校日新館と会津武家屋敷で、時間の層に触れる
では、その言葉が育った場所を歩いてみましょう。
會津藩校日新館は、江戸後期の一八〇三年(享和三年)、藩主・松平容頌の時代に創設された藩校です。儒学や武術はもちろん、医学や天文学まで学べた、当時の日本でも屈指の教育機関でした。什で心構えを学んだ子どもたちは、十歳になるとここへ進みます。やがて白虎隊として戊辰戦争に臨む少年たちも、この学び舎で「ならぬものはならぬ」を体に刻みました。
回廊に立つと、背筋が自然と伸びます。知識ではなく、生き方を教える場所だと、建物そのものが語りかけてくるのです。
そして、もう一か所。会津武家屋敷では、当時の上級武士の暮らしが丸ごと再現されています。畳の目、欄間の細工、台所の動線。掟を唱えた子どもたちが、どんな日常の中でその言葉を呼吸していたのか。観念ではなく、生活の手触りとして「ならぬ意味」が立ち上がってきます。
私がこの会津観光で立ちすくんだのは、まさにこの「時間の層」の前でした。
師の師は、明治維新の人だった
■ 師の師は、明治維新の人だった
師の師は、明治維新の人だった
ひとつ、個人的な話をします。
私は子どもの頃、剣道を習っていました。当時の先生が、よく似たことを言っていたのです。理屈じゃない、ダメなものはダメだ、と。
会津を歩きながら、ふと逆算してみました。私の師は五十年前の人。ということは、その師の師は、さらに五十年ほど前。明治維新からほどない時代を生きた人になります。
つまり、剣道場で私の耳に届いていた言葉は、維新の気配をまとった世代から、確かに手渡されてきたものだったのですね。
ここで、二つ目の発見が腑に落ちました。「ならぬものはならぬ」は、意味が一つに固定された言葉ではありません。形は変わらないまま、それぞれの世代が、それぞれの思いを注ぎ込んできた「器」なのです。
ある世代は「秩序」を込め、ある世代は「反骨」を込め、ある先生は「覚悟」を込めた。器の形は百五十年変わらない。だからこそ、中身が時代ごとに入れ替わっても、言葉は生き延びてこられたのではないでしょうか。
世代で変わる「感じ方」、それでも消えない理由
■ 世代で変わる「感じ方」、それでも消えない理由
世代で変わる「感じ方」、それでも消えない理由
その証拠に、この言葉は今も姿を変えて受け継がれています。
会津若松市は什の掟を現代版に翻訳した「あいづっこ宣言」を定め、市内の子どもたちは今もこれを暗唱します。福島県では結びの一節にちなんだ「NN運動」も展開されてきました(出典:会津若松市、福島県)。
ただ、誠実に申し添えておきたいことがあります。什の掟には、戸外で婦人と言葉を交わしてはならない、といった、現代にはそぐわない条文も含まれます。重んじられた「上意下達」も、今の感覚では窮屈に映るかもしれません。
それでいいのだと思います。古い器に、現代の私たちが現代の中身を注ぐ。合わない部分は静かに置いていく。そうやって意味を更新し続けられることこそ、この言葉が死なずに残ってきた本当の理由なのですから。
あなたなら、この器に何を込めますか
■ あなたなら、この器に何を込めますか
あなたなら、この器に何を込めますか
ここまで読んでくださったあなたには、もう「ならぬものはならぬ」が、単なる頑固な戒めには見えていないはずです。
そこで、ひとつお願いがあります。あなたにとって、この言葉はどんな意味でしたか。誰の声で、いつ、心に刻まれましたか。よければ、コメントであなたの「ならぬ」を聞かせてください。あなたが注ぐ中身もまた、この器を未来へ運ぶ一滴になります。
そして、もし少しでも胸が動いたなら。次の休みに、會津藩校日新館と会津武家屋敷を訪ねてみてください。回廊に立ち、武家屋敷の畳に座れば、百五十年の時間の層が、言葉になる前の感覚で、あなたに語りかけてくるはずです。
私がこうして書き続けているのは、ひとつの言葉の奥に眠る「時間の重なり」を、誰かと分かち合いたいからです。次の旅は、どこに行こうかな? また、別の物語を皆さんと想像したいです。